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2010.12.03

小岩井育馬の証人・畠山章一氏死去

 訃報が届いたのは20日のことだった。去年のシアンモア記念の直前、取材にこたえられた時にはお元気で、とても91歳のお年が信じられなかったのだが、昨年中にご子息のいる埼玉に移られていたとのことだった。

 畠山章一氏は戦時中の昭和18年に小岩井農場に赴任、栄光に満ちた小岩井馬産にたずさわった経歴の持ち主なのだ。そしてGHQ命令による育馬部の廃止、新たに牧場経営の柱となったホルスタインの改良に実績をあげ、後年農場長に就任された。
畠山氏の職歴はそこにとどまらず、昭和60年代からは当時揺籃期にあった葛巻町の畜産を指導、今日の葛巻ブランドを築いた方だった。29日、盛岡願教寺で行われた本葬には、町長をはじめ葛巻町の関係者が目立ったが、小岩井関係の方々も数多く参列されていた。

 去年もこのブログで紹介したが、小岩井につながれていたシアンモアの印象を語る畠山氏の表情が忘れられない。「きれいな、ほんとうにきれいな馬だった。サラブレッドとして理想的な姿の馬だった。」と、厳しい審美眼を持っているはずの伯楽が、本当にうっとりとした表情で語ってくれたのだった。
 葛巻に移ってからも馬産を再開する道を探ったが、すでに小岩井ゆかりの母系も各地に散逸、結局断念をしたそうだが、シアンモアや、ご自身が最も好きだったというプリメロの話をするときのほとばしるような口調には、ずっと根っこの部分に持ち続けてこられたであろう“ホースマン”の血を感じた。

 そして小岩井の馬産の歴史について、今こそ光をあてなおす時ではないだろうか。フロリースカップの末裔、ウオッカが活躍し、今また同系が生んだスペシャルウイークの産駒ブエナビスタが女傑の系譜を継いでいる。

 岩手は、藩政時代からの馬産地であり、優れた農耕馬や名のある軍馬を育てた地である。その時代の文化を今に伝えるちゃぐちゃぐ馬コの存在は広く知られているのだが、そうした土着の「馬文化」に加え、全国に血脈を広げている、言い換えれば今も生きている小岩井血統を中心とした「競馬文化」の価値をもっと称揚して良いのではと思う。
小岩井血統は文化遺産ではなく、今もある財産なのであり、岩手競馬の存続・発展のバックボーンたりうるキーワードだと思うのだ。

 「長い時代の淘汰をくぐりぬけて生き残った血統は大事にしなければいけません」
畠山氏の言葉は、そのまま生き残らなければならない岩手競馬への叱咤激励の遺言として、重く耳にのこっている。故人のご冥福を祈りつつ、忘れてはいけない、なくしてはいけない岩手の競馬文化のことを考えてみたい。



Posted at 11:11 | 岩手競馬 | TB(0) |
2010.10.14

高知!・・・気持ちがたかぶった南部杯

 第23回の南部杯の最大のニュースはなんだっただろうか?
 エスポワールシチーの敗戦は競馬に「絶対」がないことを改めて認識させられた。ほぼ絶対(そんな日本語はないのだが)と予想・喧伝していたことを振り返れば恥ずかしいばかりだ。オーロマイスターのレコード勝ちはニューヒーロー誕生を印象付けたが、あまりにオーロパークに相応しい名前の馬の活躍だった。

 だが、である。地方競馬にかかわるものとすれば第四コーナー、外からまくって一瞬先頭に立った高知・グランシュヴァリエの健闘を最も感動したシーンに上げたい。
 JRA勢6頭以外では、元中央3勝、高知移籍後初戦・報知オールスターカップ2着のグランシュヴァリエが地方最先着かと思い、パドックでの各馬紹介の文言にその旨を盛り込んだのだが、・・・どんなに頑張っても掲示板に乗れるか乗れないか、が正直な気分であり、当然馬券の対象には考えなかった。

 先行セレスハントに余裕がなくなり、内に控えたままのエスポワールシチーからも躍動感が伝わらない。4角手前でオーロマイスターの勝利を予感したが、その外から青地にピンク一文字・阿部英俊の騎乗服が目に飛び込んできたではないか。なんと高知のグランシュヴァリエ!!!見せ場は一瞬だったが直線もよく踏ん張り、見事に3着に残ったのだ。
 岩手の交流競走では、最近JRA勢の上位独占が続いただけに、他地区とはいえ高知所属馬の激走には、体中の血が騒いだ、総毛立った。太目で余裕残しのエスポワールシチーが敗れ、充実オーロマイスターが勝ったというだけでは味わえないカタルシスのような感情が湧きおこり、昂ぶりを感じた。

 かつてマーキュリーカップで高知のミストフェリーズが3着に入ったときも驚いたが、今回の舞台は南部杯、素晴らしいパフォーマンスだった。元々中央準オープンの格を考えれば無視しすぎだったのかもしれないが、大一番に体調を仕上げた高知の関係者と、思い切りの良さが光った我が岩手・阿部英俊の好騎乗に拍手を送りたい。
 地方にあってもグレードレースで活躍できる馬を送り出せることは、これまで岩手が証明してきた事でもある。今回はベストメンバーを出せなかった岩手勢への、カンフル剤の役目も果たしてくれたグランシュヴァリエ。この馬がレースを盛り上げてくれた。

 (余談)・・・あのメイセイオペラのレコードが破られた。記録は破られるためにあるとすれば、時代の流れるところ致し方のないことだろう。一方、トウケイニセイが3着に敗れて以来、一度も馬券にからめない④番のジンクスは残った。このジンクスを破るのが地方、できれば岩手所属馬であって欲しいと思う。
Posted at 17:51 | 岩手競馬 | TB(0) |
2010.06.18

2010年一番馬への期待

 楽しみな季節がやってきた。新馬戦の季節がはじまる。この時期の気分はと言えば、まさにアイドルタレントウオッチャーだ。
 まず何より2才新馬のレースは実にドラマチックである。街でスカウトされた組(つまり普通に牧場で買われた馬)、最初から芸能界入りが決まっていた役者の子(活躍馬の弟・妹で同じ馬主さんの子馬等)、それにオーディション番組を勝ちぬいたメンバー(トレーニングセールの出身馬)もやがて加わり、それぞれの生い立ちを背負いつつ将来の大スターを目指して競走生活のスタートを切るのだ。その大事な初戦にファンとして立ち会うのである。

 能力検査の内容や調教タイムに加え、血統、馬格、馬体のバランス、パドックでの元気の良さ、などのファクターを組み合わせて新人賞候補に一票を投じるわけだが、自分が目をつけた馬が勝つ喜びは、新馬戦の場合、ことさら嬉しいものである。
 更に、新馬戦で自分が肩入れした馬が将来の大スターになればなおさらだ。
「・・・あの馬は絶対大物になると思ってたのさ」とは、良く聞く自慢話だが、その馬の馬券を新馬戦で買っていればこそ、慧眼のお褒めにあずかれるものだろう。(キョンキョンは絶対売れる!と言ったくせにレコードは買わなかった・・・←脱線)その意味で過去最も自慢できるのは、新馬戦では2着に負けたものの、後に不来方賞を勝つグランドピアノを軸に買っていたことかもしれない(勝って欲しかったが)。

 さて、その新馬戦がいよいよ始まる!新人賞争いの初戦に臨むにあたり、この10年のシーズン最初の新馬戦の勝ち馬=一番馬と、その後の実績を列記してみよう。
 1日2レース行われた年もあるが、その場合はレース番号の若い方にこだわってみる。

  2000 カネコメスカイ   デビュー戦1勝のみ
  2001 リヴァーホープ   ビギナーズカップ3着
  2002 ピュアサンヒコ   りんどう賞3着
  2003 ツルマルダイオー 初夢賞1着 重賞4着2回
  2004 ウインクプレア   (重)ジュニアグランプリ1着
  2005 ナイキザフォース (重)岩鷲賞4着
  2006 セイントセーリング (重)阿久利黒賞・ダイヤモンドC・不来方賞1着
  2007 バトルアイ      (重)日高賞5着
  2008 マヨノエンゼル   (重)阿久利黒賞・ダイヤモンドC・青藍賞
                    トウケイニセイ記念1着 現役
  2009 リュウノボーイ   (重)若駒賞2着 南部駒賞3着 北海優駿3着 現役

 なんといっても2008年のマヨノエンゼルの存在が光る。去年の年度代表馬にまで出世した同馬は「栴檀は双葉より芳し」を地でいく存在だ。2006年セイントセーリング、2009年リュウノボーイも成功組みといえるが、2006年の2着はGIIIエーデルワイス賞を勝ったパラダイスフラワー、そして去年2009年はといえば3着だったのが今を時めくロックハンドスターと、敗れた馬たちの存在感が大きい。いずれこの3回の新馬戦は結果的にハイレベルだったと言えよう。
 ここ最近の一番馬の成績が良いのは、かつて5月から行われ、早熟タイプの馬が勝ち上がるケースが多かったのに対し、2005年以降は新馬戦が6月からとなった事が関係しているかも知れない。最初の新馬戦に大物が登場する可能性は高い。

 さて、今年は・・・?条件的には、ここしばらく盛岡芝1000mだった舞台が、今年は水沢ダート850mに変わったことが新たな要素となる。はたしてどんなタイプの馬が2010年の一番馬となるか興味深い。



Posted at 19:14 | 岩手競馬 | TB(0) |
2010.04.21

期待の新人・菅原辰徳騎手

 4月17日の土曜日・第1レース。菅原辰徳騎手がデビュー戦を迎えた。3番人気のダブルフィーバーにまたがってのスタートはタイミングも決まり、レースを録音する為の双眼鏡を持ちながら、よしっ!と心の中でエールを送った。

 コーナーを回るごとに外へと振られたのは、技量云々よりは「迷惑をかけてはいけない」という意識が一瞬のためらいにつながったからと見えた。向こう正面は4~5番手で追走、3コーナー手前で追い出すと3番手まで上昇、“これはもしかして”という期待感が漂う。
 4コーナー、楽な手ごたえで抜け出したシルクナトゥールの勝利は決定的となるが、2番手争いはマイネカノンをはさんで、内にランブルローズ、外にダブルフィーバーの3頭の争いとなった。・・・「外からダブルフィーバー、菅原辰徳も懸命に追う!」新人ジョッキーの初舞台を盛り上げるべく声を張り上げたが、最後は脚を失くしてまい、結果は4着。
後刻インタビューした際、「ムダに早く追いすぎました」と自嘲気味に話したが、勝負に加わって見せ場を作ったのだから恥じるレースではなかった。

 この日は第2・第4レースにも騎乗、第2レースではリスポンスグローで5着、第4レースではトップパートナーに騎乗、内を突いて4着。騎乗初日3レースは馬券にこそ絡めなかったものの全て入着と、及第点の成績を残し、まずは無事に騎手生活のスタートを切った。

 菅原俊吏騎手以来3年ぶりの新人ジョッキーだが、俊吏騎手はオーストラリアで24勝のキャリアを重ねてからの日本デビューだったので、純粋な岩手デビューの騎手としては、2005年の山本聡哉・高橋悠里両騎手以来5年ぶりとなる。
 往時に比べて騎手の数も減る厳しい時代に競争の場に身を置くことになったが、それだけに『おう、よく来たな、がんばれよ』という空気が現場で感じられたのも確かだった。顔面を砂まみれにした新人に「痛かっただろう」と声をかけ、「なあに鍛えてやるから」とすこし手荒に?微笑む先輩ジョッキーの姿もあった。

 菅原辰徳騎手への期待は、彼の乗り馬の質にも現れていたように思う。最初の週、土・日2日間あわせて5騎乗したが、全ての馬が2~4番人気という高い支持を集めたのは非常に特徴的だった。
 新人ジョッキーの育て方には大きくわけて2つある。一つはプレッシャーの無いところで経験を積ませるやり方で、人気にならないケースで数多く騎乗させる方法。もう一方は、とにかく早いうちに勝たせて自信を持たせようと、最初から人気馬に乗せるやり方だ。
 菅原辰徳騎手の場合は明らかに後者だが、リスクを伴う分馬主・調教師の理解が必要不可欠なわけで、恵まれたデビューだった。

 受け答えがまじめな青年ジョッキーは「まずは初勝利が目標」と語る。勝負のきびしさを経験したばかりの時点であり、正直な感想だろう。
 一方、新人騎手への期待は、「賞金を稼いでくれるか」「馬券をとらせてくれるか」という直接的な期待の他に、デビューした新人騎手が苦労をしながら勝ち鞍を伸ばし、皆の信頼を勝ち得て名騎手に育っていくという、“ストーリーを紡ぐ"ことへの期待でもある。
 本人が過大な期待と感じる必要は無いが、わくわくするようなストーリーを見たい、聞きたいファンが沢山いることを励みにしてくれれば嬉しい。初勝利が素敵な物語の書き出しであればと期待している。
Posted at 14:33 | 岩手競馬 | TB(0) |
2010.02.16

1999年1月31日のメモリアル

 メイセイオペラの快挙の記憶は地下道の薄暗い照明と共に甦る。

 勝てるかもしれない・・・・・・勝って不思議は無い・・・・・・。直前の戦績を考えれば至極当然の予測のはずなのだが、当時だれも打ち破ったことの無い「中央の壁」の前に「確信」はもてずに東京競馬場の取材におもむいた。

 クルーは二人。先輩社員は、場内の賑わいとメイセイオペラのパドックでの雄姿・直線の走りを撮影すべくスタンド前に待機。私はテープレコーダーを肩に、引き揚げてくる菅原勲騎手の第一声を収録すべく、検量室前のモニターのあるスペースで待機した。人影もまばらな地下道の一角は静まり返り、地上の明るさも歓声も届かない。

 モニター画面からファンファーレが聞こえ、戦いが始まった。

 オペラの栗毛の馬体・白と黄色の菅原勲の勝負服は、画面の中ではよく目立った。好位マーク。メイセイオペラは画面に映る位置で進む。「無様なレースにはならない、取材になるな」。3コーナー過ぎまでは妙にさめた感情で画面を見ていた。
 驚くほどの手ごたえの良さで4コーナーを回り、直線へ。流石に気持ちが昂ぶる。カーッと熱くなったのもつかの間、オペラが先頭に立つと今度は全身が総毛立つような感覚に襲われた。大丈夫、後ろから来る馬はいない。

 ゴールの瞬間には駆け出していた。「やっちまったぜ!」そんな乱暴な言葉を吐いてパドックへ続く開口部へと向かった。人馬が引き揚げてくるまでに相当時間がかかることは分かっていた筈なのに、待ちきれなかった。狭い開口部を通して地鳴りのような歓声が空気の震えとなって伝わり地下道に反響した。

 どのくらい待ったかの記憶はとんでいる。報道陣がようやく集まり始めるなか、大仕事をやってのけたメイセイオペラと菅原勲騎手が引き揚げてきた。合流した佐々木修一調教師の顔が紅潮している。手に握られた専門紙は皺くちゃだ。隣にいた関係者の体を無意識に叩いていたのだという。

 やがて後検量を終えた菅原勲騎手の肩を抱きしめたのは、当時の岩手競馬の事務局長藤原正紀氏だった。目の前で二人の男が泣いていた。

11年前の光景・音・感情・・・・・・地下道の記憶は一生鮮明に心に残っていくだろう。

―2月21日東京競馬場・メイセイオペラメモリアルに寄せて―   2010・2・15記

Posted at 22:10 | 岩手競馬 | TB(0) |
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