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2010.02.16

1999年1月31日のメモリアル

 メイセイオペラの快挙の記憶は地下道の薄暗い照明と共に甦る。

 勝てるかもしれない・・・・・・勝って不思議は無い・・・・・・。直前の戦績を考えれば至極当然の予測のはずなのだが、当時だれも打ち破ったことの無い「中央の壁」の前に「確信」はもてずに東京競馬場の取材におもむいた。

 クルーは二人。先輩社員は、場内の賑わいとメイセイオペラのパドックでの雄姿・直線の走りを撮影すべくスタンド前に待機。私はテープレコーダーを肩に、引き揚げてくる菅原勲騎手の第一声を収録すべく、検量室前のモニターのあるスペースで待機した。人影もまばらな地下道の一角は静まり返り、地上の明るさも歓声も届かない。

 モニター画面からファンファーレが聞こえ、戦いが始まった。

 オペラの栗毛の馬体・白と黄色の菅原勲の勝負服は、画面の中ではよく目立った。好位マーク。メイセイオペラは画面に映る位置で進む。「無様なレースにはならない、取材になるな」。3コーナー過ぎまでは妙にさめた感情で画面を見ていた。
 驚くほどの手ごたえの良さで4コーナーを回り、直線へ。流石に気持ちが昂ぶる。カーッと熱くなったのもつかの間、オペラが先頭に立つと今度は全身が総毛立つような感覚に襲われた。大丈夫、後ろから来る馬はいない。

 ゴールの瞬間には駆け出していた。「やっちまったぜ!」そんな乱暴な言葉を吐いてパドックへ続く開口部へと向かった。人馬が引き揚げてくるまでに相当時間がかかることは分かっていた筈なのに、待ちきれなかった。狭い開口部を通して地鳴りのような歓声が空気の震えとなって伝わり地下道に反響した。

 どのくらい待ったかの記憶はとんでいる。報道陣がようやく集まり始めるなか、大仕事をやってのけたメイセイオペラと菅原勲騎手が引き揚げてきた。合流した佐々木修一調教師の顔が紅潮している。手に握られた専門紙は皺くちゃだ。隣にいた関係者の体を無意識に叩いていたのだという。

 やがて後検量を終えた菅原勲騎手の肩を抱きしめたのは、当時の岩手競馬の事務局長藤原正紀氏だった。目の前で二人の男が泣いていた。

11年前の光景・音・感情・・・・・・地下道の記憶は一生鮮明に心に残っていくだろう。

―2月21日東京競馬場・メイセイオペラメモリアルに寄せて―   2010・2・15記

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