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2008.07.12

ウイングアローの切なき思い

ウイングアロー(東北牧場にて) ウイングアロー産駒の勢いが止まらない。
 6日の新馬2クラ(盛岡・芝1000m)は、ともに老舗・賀張三浦牧場生産で同馬主のウイングアロー産駒、ダンストングラン、ダンストンジールが連勝した。
 ハイレベルのメンバー相手に差しきったダンストングランの切れ味、好時計(59秒3)で逃げ切ったダンストンジールの高い素質をうかがわせるスピード、いずれも見どころ十分の走りだった。加えてもう一頭、世代トップを走るカミノフジ相手に、2走2着に健闘した牝馬フジフーフーもおり、どうやらウイングアローの子の豊作年のおもむきがある。

 2002年に引退、北海道で種牡馬入りしたウイングアローは、2005年デビューの初年度産駒から、ご存知サイレントエクセル(2006・2007岩手競馬年度代表牝馬)を輩出した。今年から青森・東北牧場に腰を落ち着けたが、思えばウイングアローは「岩手」とはなにかと縁の深かった馬である。

 ちょうど10年前の1998年、この年3歳(当時の表記で4歳)のウイングアローは絶好調で秋を迎えていた。7月にG3の名古屋優駿、旭川のグランシャリオカップを連覇、夏を休養に当てたあと、10月になって当時ダート三冠と位置づけられていた路線に狙いを定めた。JRA・中山のG3ユニコーンSで一冠目、南関東・大井のG2スーパーダートダービーで二冠目を奪取、そして三冠レースの最終関門、11月23日に盛岡競馬場で行われるG1・ダービーグランプリに勇躍駒を進めてきた。

 自他共に認める大本命として迎えるはずだった大一番は、しかし、時ならぬ大雪の影響で「レース中止」のアクシデントに見舞われる事になる。
 当日の大雪を、私自身は一関~盛岡間で行われた駅伝の中継車の上で体験したのだが、先導の白バイが平泉・中尊寺前の坂でスリップしてリタイアするほどの降り方だった。盛岡ではさらに多量の降雪があったようで、競馬の中止はやむをえなかった。
 ダービーグランプリは3週間後、水沢競馬場に舞台を移して行われたが、小回りで直線の短い水沢は得手にかからなかったか、また、三冠達成にむけて一度完璧に仕上げた反動があったものか、先に抜け出したナリタホマレを捉えきれずにウイングアローは2着に泣いた。幻の三冠馬と呼ばれるゆえんである。

 古馬になったウイングアローは、4・5・6歳時に3年連続でG1・南部杯に出走した。着順を記せば、4歳時がニホンピロジュピタの3着、5歳時がゴールドティアラの2着、6歳時がアグネスデジタルの5着。後一歩及ばず、岩手では結局勝てなかった。
 現役最後のレースとなった大井の東京大賞展は1番人気ながら10着。引導を渡す形となったのが、岩手所属のトーホウエンペラーだったのも何かの縁であろうか。

 現役時代「鬼門」とも言えた、ウイングアローにとっての岩手。その岩手での産駒の爆発は、科学的にみれば偶然の域を出ないのだろうが、不思議な意思が働いているのではと考えたくもなる。

 ウイングアローの血統を遡れば、母系の祖は名牝マーシュメドウに行き着く。マーシュメドウからは昭和43年朝日杯を勝ち、京王杯SHで名人保田隆良の引退に花をそえたミノルが出ている。自身ダービーは無念の2着。種牡馬としても大物を出す事が出来なかったが、岩手を終の棲家にえらび、紫波町の牧場で人々の愛情に包まれながら生涯を閉じたと聞く。
 ウイングアローを貫く血には、何らかの形で岩手に恩返しをしたいDNAが刷り込まれていたと考えるのは、さすがにロマンチックすぎるだろう。

 ・・・しかし運命への「仕返し」ならば、走る子を送り込む必要は無い。逆襲の根拠は「恨み」ではなく、「執念」「あこがれ」「渇望」・・・。あまりに情緒的すぎるが、そう考えたい。

 ウイングアローは、4度の敗戦を味わった岩手に忘れ物を取りにいきたいのだ。もう走れなくなった自分に代わって、息子や娘たちに夢をかなえて欲しいのだ。そして自らの本当の力を認めて欲しい最大の理由は、なにより、かつて先祖がそうされたように岩手の人に愛されたいからだと思うのだ。
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