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2008.01.18

岩手のWarRelic

 ウォーレリックといえばマッチェム→マンノウオーと続く血の流れをくむ馬で、その子孫は現在は傍流だが、ウオーニングが種牡馬として活躍している・・・・・・という話から入ると血統論か?と思われそうだが、それは専門外。今回は「WarRelic=戦争の遺物」という本来の意味と絡む話を紹介したい。

 今月10日の盛岡タイムスの紙面で、盛岡市青山町にある旧日本軍の施設騎兵第3旅団の兵舎(現在は民間の工場)の保存問題が取り上げられた。
 県民有志の団体が戦争体験の風化を防ぐために保存の道を探っているが、工場側が施設の老朽化から解体・改築の意向を持つ一方、内部の改装が進んでいるため文化財としての保存は難しいという盛岡市サイドのコメントが載った。このため、今月から部材の保存・記録としての保存が検討される模様だ。また、盛岡市が取得している隣接の旧覆い馬場は、国の有形文化財指定にむけて準備中との記事だった。

 岩手競馬を語るとき、騎兵第三旅団の持つ歴史的な意義は大きい。古くから南部馬の故郷だった岩手が、馬産地としての重要度を増した時期は、明治42年から昭和10年まで、盛岡に第三旅団が置かれた時期と重なる。この時期の軍馬の改良が産地競馬・検定競馬の意味での岩手競馬の発展に寄与したことは確かだ。
 オーロパークの前身となる上田の馬場に「黄金競馬場」の名前がついたのは明治36年。第三旅団の置かれる直前の時期だが、命名者が当時の騎兵総監閑院宮載仁(かんいんのみやことひと)親王だったことも、馬産地岩手が国から重要視されていた証の一つだろう。

  旧軍の話題を持ち出すと、「戦争反対か戦争賛美」かのベクトルでとらえられがちだが、岩手競馬の歴史的バックボーンとしての価値で見れば、藩政時代からの南部馬の歴史・小岩井の馬産と並んで、軍馬の歴史も大きい。
 胆江日日新聞に連載された軍馬勝山号(歩兵第101師団配属)の活躍も騎兵第三旅団とは離れるが、その時代背景の中から生まれたものだ。

 今の財政事情からして「岩手競馬博物館」構想などはとても支持されまいが、何らかの形でWarRelicの保存に岩手競馬も関わる必要があるのではないだろうか。
 岩手競馬への愛着を深めるとともに、競馬を平和な時代に楽しめることの有難さを県民に周知してもらうための方策にもなるのでは、と思う。
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