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2007.12.28

思い出のグランプリ・2

 大晦日は岩手競馬のグランプリ桐花賞。過去幾多の名勝負が演じられてきたがその中で強いインパクトを与えてくれた1987年・第13回の優勝馬『セーヌボーイ』の戦いについて振り返ってみたい。

 この年3歳(当時の表記で4歳)のセーヌボーイは、前走ダービーG.P.で3番人気に押されながら8着に敗れていた。同期の不来方賞馬アメリカンミツルが戦線を離脱したため、岩手の期待を一身にあつめての出走だった。
 快調に逃げるスタードールを追って3番手、本来の位置取りより前目での追走は、当時売り出し中の主戦佐藤雅彦騎手がまさしく「勝ちに行った」レース内容だった。結果、4コーナーで失速したが、潔い散り方に見えたものだ。

 そして桐花賞、陣営はセーヌボーイの鞍上を引退が迫っていた名人村上昌幸騎手に託した。1970年デビュー、1972~81年まで不滅のリーディングV10を達成していた「村昌」が最後の花道として手綱をとることになったのだ。
 人気は大井B1クラスから転入、平場で6連勝中のグリンセイコーが1番人気、その名の通り好調サイクル時の爆発力に定評のあったボールドマックスが2番人気、セーヌボーイは3番人気に推された。村上昌幸騎手が迎える最後の大一番としての人気もあり、地方馬だけで争われた時代のG.P.8着馬はファンの支持を失わずにレースにのぞんだ。

 快速ノーザントライが逃げ縦長の展開。前にボールドマックス、後ろにグリンセイコーという難しい位置取りだったが、前半を深追いせずに追走していた村上昌幸の取った戦法は「3角マクリ」。勝負をかけてからの行き脚は素晴らしく、セーヌボーイは4角では単騎先頭に立った。
 出し抜けを食らわされた形のボールドマックスは戦意をくじかれ後退、追い込むグリンセイコーにはセーフティリードを保って直線は一人旅であった。
 当時すでに小竹清・佐藤浩一に時代を譲っていた名人が見せた最後の勝負手に応えて、セーヌボーイは前年の覇者センターギルドに3馬身差をつけて快勝した。

 後に東海を経て中央入り、OP・準OPで6度の入着を果たしたセーヌボーイは5歳の夏に再転入。明け8歳の桐花賞では足掛け5年ぶりに2着するなど、9歳まで息長く活躍したが、生涯成績で見ればやや決め手不足のところのある馬だったといえよう。それだけに87年の桐花賞で見せた人馬一体の鮮やかなパフォーマンスは70戦のキャリアの中で最高のものだった。

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