2012.04.19

啄木と皐月賞

 4月13日(金)、石川啄木の没後100年の記事に目を通していたとき、啄木の盛岡中学時代の同級生を紹介するコラムに、日本の競馬の発展に功績のあった一條友吉の名前を見つけた。同窓であることは知っていたが、卒業名簿を調べれば確かに明治36年3月卒業の同期だった。(正確にいえば啄木は最終学年の秋に自主退学しているのだが校史では卒業生と同じ扱いになっている)。

 二級上に文学博士の金田一京介、三菱重工社長・郷古潔、及川古志郎海相、田子一民農相。一級上に板垣征四郎陸相、作家・野村胡堂と、錚々たる学友に混じって、天才詩人と稀代の馬産家が学んでいたのだ。もっとも野球部で活躍していた一條友吉と、相当無茶はしても文学系の啄木の間の交友は薄かったようだ。しかし、昭和34年岩手日報社刊「人間啄木」には、二人がそれぞれ張り合っていた別々の派閥に所属していたという記述がある。また、友吉の従妹に、啄木と同時代に才能を発揮しつつ18歳で早逝した詩人一條雅子がいるが、雅子は、啄木が盛岡中学を退学後上京した際たよった先輩・細越夏村と後に結婚している。調べてみればいくつかの接点を見つけることができた。おもわぬ発見に嬉しくなった自分は、当日のラジオで一條友吉ゆかりの馬、ゴールドシップを応援すると宣言していた。


 4月15日(日)、果たして皐月賞はステイゴールド×メジロマックイーン牝馬という現代の「黄金配合」の芦毛馬ゴールドシップが圧勝した。血統表がアルファベットで覆い尽くされる馴染みのうすい血統の馬が多くなった中、カタカナの多い血統の馬にはなぜかホッとさせられる。「ああ、この父親はしっている、この馬のお母さんは強かった・・・」と頭のなかで血をたどっていける楽しみがあるからだろう。

 ゴールドシップの場合、母の血統をたどれば、前述の一條友吉がアメリカから輸入した下総御料牧場の基礎牝馬「星旗」にたどり着くのだ。1930年代初頭に輸入されて80年、戦前のダービー馬・大種牡馬クモハタ、JRAの顕彰馬で50年代に渡米し活躍したハクチカラ、70年代の菊花賞馬ニホンピロムーテー、90年代前半の悲劇の名牝サンエイサンキューと、忘れたころに大物を出して生きながらえてきた血統だということがわかる。天才は、えてして傍流の血統から生まれるもの。母の父メジロマックイーンが、アサマ→ティターン→と3代続く内国産天皇賞馬というだけで応援したくなるのに、ステイゴールドとの黄金配合に加え、「星旗」の血がスパイスを利かせている
ゴールドシップには怪物の予感がある。鞍上内田博幸の好騎乗に勝因を求める声もあるが、それだけでは語れない強さを感じた。


 当日、トータルでは、吸い込まれてしまった・・・・。ただしかし、56の心もまたゴールドシップの強さに完全に吸い込まれた。須貝師の言葉どおり、一條友吉ゆかりのこの馬で行けるところまで行ってみたい。


Posted at 16:13 | 岩手競馬 | TB(0) |
2012.01.10

支援の輪に支えられたシーズンを回顧

 全てが暗転した3.11。今シーズンの開幕直前に文字通りの激震が走った。沿岸では甚大な津波被害に見舞われ、競馬関係者にも痛ましい犠牲者が出た。正直、「競馬どころではない状況」の中、岩手競馬は天災を理由に幕を閉じるのではないかと心配、というより覚悟をした・・・。

 10ヶ月後の今、「心をひとつに」の合言葉のもと、岩手競馬に関わる人たちの絆が結ばれ、復旧はもとより復興の足がかりを得た岩手競馬の姿がある。なんとも心を熱くしてくれたシーズンが終わった。岩手競馬の人馬の活躍が勇気と希望を与えてくれたのは勿論だが、背中を押してくれた内外からの協力や、前向きな話題・ニュースを改めて列記してみる。抜けているものもたくさんあると思うが、「ああ、そんなことがあったね」と、記憶をたどっていただければと思う。


4月 JRAから岩手競馬に5000万円の見舞金、22年度分に充当
   騎手達が被災地で復旧作業のボランティアに従事

5月 沿岸被災地をポニーが慰問 
   笠松競馬で「がんばれ!岩手競馬応援セレモニー」
   「心ひとつに」競馬関係者からのメッセージ続々集まる
   兵庫県の騎手部会からメッセージいりジョッキーパンツ届く
   盛岡競馬開幕週、被災市町村応援レース実施
   騎手によるボランティア活動と義援金の贈呈

6月 「岩馬るべ!東北プロジェクト」による応援署名を知事に提出
   トウケイニセイ基金発足

7月 仙台で楽天戦を岩手競馬ナイターとして開催、被災地の子供達を招待
   戸崎圭太騎手が震災募金とサイン会開催
   JRA・岩手騎手トークショー福永祐一騎手らが参加
   フレンドシップ3.11参加JRA騎手が釜石の保育園来訪

8月 JRAから岩手競馬に1億円の協力金
   東日本大震災復興祈念JRA・岩手騎手交流戦
   ハッツ・オフプロジェクトによる義援金贈呈
   JRA東京・南関東川崎競馬ファンからの寄せ書き届く

9月 福永祐一騎手が盛岡競馬場で豚丼ふるまう
   トウケイニセイがOROパーク来場
   気仙地方のファンがふじポンとバスツアー

10月 南部杯をJRAのレースとして東京競馬場で開催70億超の売上げ
   (岩手競馬に3.5億、岩手県に5億拠出)
   南部杯優勝トランセンド号の馬主前田幸治氏より県に1000万円寄附
   南部杯当日、盛岡競馬場で「絆カップ」開催
   東北ジョッキーズカップ開催、優勝は福島出身大井・高野騎手
   南部杯に散ったロックハンドスターに追悼の寄せ書き多数

11月 園田で「東北からありがとう」イベント、菅原勲・皆川麻由美騎手参加

12月 水沢競馬開幕に合わせたIBCのバスツアー
   岩手競馬騎手による復興チャリティオークション
   (大船渡の福祉施設に図書券贈呈)

1月 クライマックス3チャレンジ、予想合戦で盛り上げ
   シーズン終了記念大抽選会


 上記は「○○が行われた」時系列でくくったが、それぞれの話題について「○○が行われる」「○○がこう変わる」というニュースがリリースされるごとに、ファンのマインドが前を向き、高まっていった。そして、こうして並べてみると、県外の団体・関係者から暖かい支援を実にたくさん頂いたことが改めて分る。岩手競馬はひとりぼっちではなかったことに気づかせてもらい涙が出てくる。そして今後岩手競馬が出来る最大の恩返しは、自立にむけて歩み出す姿をお見せすることに他なるまい。微力ながらその手伝いをしていきたいと思う。


Posted at 17:21 | 岩手競馬 | TB(0) |
2011.10.14

鎮魂 岩手の星

私はほろ苦い気持ちをいだいて手を合わせる。

君は大きな期待を持って岩手に降り立った。岩手の星という名をもらって。
君はその期待に十分に応えた。3才秋の快進撃は明るい未来を予感させた。
3.11東日本大震災、あの時から小さな歯車が狂い始めたのだろうか。
精密機械にたとえられるサラブレッド。高性能な機械ほど頑丈ではない。シーズンイン直前の天災。心身を削ってしまった君はうまく走れなかった。

デビューした時から、君は看板を背負った。背負わせた側に私はいた。
若者が疲れないなんて嘘だ。3才の青年時代に輝いた者が、ちょっと休みたくなることは普通にあることなのだ。
次はいつ?今度はどこ?期待しています!
・・・休ませなかった側に私はいた。

 出る以上は万全なのだ。不吉なことは言ってはいけない。それはその通り。もし何頭か抜いてゴールインしていれば礼賛文を書いていた。
 状態云々は関係ない。芝生の切れ目に驚いてしまったことが主因。それも真実。コース設定の不備は指摘されていた。
 だがどうして君だけが「不運」を引き受けなければならなかったのだ。

噛みしめるべきは、ハイセイコーの時代、寺山修司が語ったブレヒトの言葉。
「英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸である。」
高度成長末期、叩き上げの人生が報われるファンの夢の仮託ハイセイコーは、ダービーで敗れた。

メイセイオペラが府中を制した1999年。12年後、君は同じコースに散った。
メイセイオペラ、あとに続いたトーホウエンペラー。「英雄の時代」だった。
以来、苦境に立たされた岩手。求められていた「英雄」。君はその候補だった。

歳月を重ね、地方競馬の存在が問い直される時代に君は生きた。
中央競馬というガリバー。トモダチ・イワテを助けに手を差し伸べてくれた。

巨人の手のひらに乗りさえすれば生きられる「全体」。これは儀礼なのだ、ゆっくり回ってきさえすれば良いのだ。
それでも立ち向かわなければ生きる価値がない「個」。これは戦いなのだ。勝つために全力を尽くさなければ意味が無い。
君は後者の美学に殉じた。

覚悟を決めた君は、期待に応えるべく精一杯四肢を躍動させてみせた。
大丈夫、檜舞台で蘇ってくれるのでは?という希望を抱かせるほどに。
・・・頭の良かった君は、人の心が読めすぎてはいなかっただろうか。

事故は偶然である。だが、今の君が府中に赴くことは必然であったろうか。
今回は・・・と、心の中の声もマイクの前では「復調すれば期待大」。
君を征かせる後押しをした自覚。私以外に大政翼賛会員はいなかったか?

「岩手の星なのだから」。君は運命を背負うことを受け入れていた。
「僕が征くしかない」。君は全国からの応援に応えるための大使となった。

走路の変化を余裕でかわすゆとりまでは無かったけれど、いいポジションを取ろうと君は頑張った。いつもより夢中で前を追いかけた。湧き起こる闘争心に身を委ね、強い相手と数秒間の大舞台を楽しんだ。
・・・君がせめてそんな気持ちでいてくれたなら救われる。
嗚呼、だが、余りある期待が無理をさせたのだとしたら・・・。

70億の売上げがあった南部杯は災害復興支援の実を上げた。投票してくれたあまたの中央競馬のファンも、君の悲運に涙した。
彼らも、被災地からやってきた君を暖かく迎え、できることなら今の時代を覆う閉塞感を破ってくれと、君の挑戦に夢を託していのだ。

中央と地方・岩手の交流がファンレベルで確実に高まった一日だった。
競馬で心が一つになった日の記憶は、君の名とともに永遠に心に刻まれた。

本当の星になってしまった君にそう報告しつつ、合掌。

ロックハンドスターよ、安らかに。


Posted at 18:26 | 岩手競馬 | TB(0) |
2011.06.17

嬉し悔しきスパルタン

 岩手ダービーダイヤモンドカップは、大本命ベストマイヒーローが一番人気にこたえ逃げ切った。この馬のハナもあるかなと、ある程度は予想はしていたがヤマトスバルのマークも問題にせず、直線後続に5馬身差をつけた。
 勝ちタイムは2分11秒8と平凡。テンに早い馬が一気に逃げるか、ヤマトスバルが競りこむ場面でもあればペースも上がって勝ちタイムも詰まったのだろうが、それは仕方のない無いものねだりかもしれない。ジャパンダートダービーの全国区のペースで真価を問われる事になる。

 個人的に惜しかったのは2着のスパルタン。大好きな小岩井血統のビューチフル・ドリーマー系。戦績をみればジリジリ伸びるタイプで距離が伸びればと思わせたが、父マイネルラヴと知れば2000mへの距離延長はプラス材料とは思えなかった。
 当日パドックを見ると。“良く見える”ではないか。ゴツゴツしたところの無い馬体はどちらかといえばスマートで、短距離馬の印象は無い。気合乗りも適度で、「これなら3着はある」という評価を下したのだが・・・。

 期待した馬が期待以上に走ってしまうケースは実に悔しい!
 あまりにマイネルラヴ=短距離血統という固定観念に縛られていたが、マイネルラヴ自体は調べればスプリンター血統ではない。コスモヴァシュランみたいに2400mを苦にしない馬も出ている。金沢の1900mの重賞を勝った馬も出しており、ここにきて潜在的に持っていた長距離への適応力が現れ始めたともいえないだろうか。

 いずれ普段小岩井、小岩井と言ってるくせに、イザ本番で信用しきれなかった自分が悔しい。スパルタンには、今後、2000mクラスのレースで岩手の大将ベストマイヒーローに迫るような活躍を期待したい。


Posted at 10:27 | 岩手競馬 | TB(0) |
2010.12.03

小岩井育馬の証人・畠山章一氏死去

 訃報が届いたのは20日のことだった。去年のシアンモア記念の直前、取材にこたえられた時にはお元気で、とても91歳のお年が信じられなかったのだが、昨年中にご子息のいる埼玉に移られていたとのことだった。

 畠山章一氏は戦時中の昭和18年に小岩井農場に赴任、栄光に満ちた小岩井馬産にたずさわった経歴の持ち主なのだ。そしてGHQ命令による育馬部の廃止、新たに牧場経営の柱となったホルスタインの改良に実績をあげ、後年農場長に就任された。
畠山氏の職歴はそこにとどまらず、昭和60年代からは当時揺籃期にあった葛巻町の畜産を指導、今日の葛巻ブランドを築いた方だった。29日、盛岡願教寺で行われた本葬には、町長をはじめ葛巻町の関係者が目立ったが、小岩井関係の方々も数多く参列されていた。

 去年もこのブログで紹介したが、小岩井につながれていたシアンモアの印象を語る畠山氏の表情が忘れられない。「きれいな、ほんとうにきれいな馬だった。サラブレッドとして理想的な姿の馬だった。」と、厳しい審美眼を持っているはずの伯楽が、本当にうっとりとした表情で語ってくれたのだった。
 葛巻に移ってからも馬産を再開する道を探ったが、すでに小岩井ゆかりの母系も各地に散逸、結局断念をしたそうだが、シアンモアや、ご自身が最も好きだったというプリメロの話をするときのほとばしるような口調には、ずっと根っこの部分に持ち続けてこられたであろう“ホースマン”の血を感じた。

 そして小岩井の馬産の歴史について、今こそ光をあてなおす時ではないだろうか。フロリースカップの末裔、ウオッカが活躍し、今また同系が生んだスペシャルウイークの産駒ブエナビスタが女傑の系譜を継いでいる。

 岩手は、藩政時代からの馬産地であり、優れた農耕馬や名のある軍馬を育てた地である。その時代の文化を今に伝えるちゃぐちゃぐ馬コの存在は広く知られているのだが、そうした土着の「馬文化」に加え、全国に血脈を広げている、言い換えれば今も生きている小岩井血統を中心とした「競馬文化」の価値をもっと称揚して良いのではと思う。
小岩井血統は文化遺産ではなく、今もある財産なのであり、岩手競馬の存続・発展のバックボーンたりうるキーワードだと思うのだ。

 「長い時代の淘汰をくぐりぬけて生き残った血統は大事にしなければいけません」
畠山氏の言葉は、そのまま生き残らなければならない岩手競馬への叱咤激励の遺言として、重く耳にのこっている。故人のご冥福を祈りつつ、忘れてはいけない、なくしてはいけない岩手の競馬文化のことを考えてみたい。



Posted at 11:11 | 岩手競馬 | TB(0) |